高 野 紙 見 聞 録

昭和62年・63年 名匠 中坊佳世子さんが抄造する高野紙の記録
 高野紙の製法を弘法大師から教えられた、と里の人々は信じています。
  かつて高野山のお寺の経本などに用いられ、繁栄を誇ったのは、もう語り草‥ 
 ここに、またひとつ、美しい伝統が消え去ろうとしています。
  ひょっとすると、これが滅亡寸前の高野紙の最終リポートになるかもしれません。
 

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高野六十那智八十

那智の滝「高野六十那智八十」という諺がある。
 高野山や那智山では男色が盛んで、老年になっても小姓を勤める者があるという意味。高野が六十で那智が八十なのは、高野紙が一帖六十枚、那智紙が一帖八十枚であることから来た。 
高野六十那智八十


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親の仕事と子どもの遊び 

 「親の仕事と子どもの遊び」   宇江敏勝

 四月のことだが、紙漉(す)きを見せてもらう機会があった。
 一つは高野紙である。高野紙は高野山の書籍紙として千年の歴史をもち、明治のころの最盛期には約六百戸が紙漉きをしていたという。現在では中坊君子さん(七十五歳)が、娘さんと二人で伝統の灯を辛うじて守っているのみである。

 ところで紙漉きの里の子どもの遊びについて、おばあさんから聞いたはなしも印象に残った。

 母親たちが紙を漉くいっぽう、台所の後始末などは女の子の仕事で、里を流れる古沢川(こさわがわ)で膳や茶椀を洗ったという。そのころはまだ食卓というものがなくて、めいめい蓋のついた小さな箱膳を使っていた。ところでその箱膳を洗うとき、少女たちは蓋に水をすくいあげ、たがいに紙を漉く真似をしあって遊んだそうだ。高野紙の簀(す)は萱の細い穂を編んだ独特なものである。その簀をあやつる微妙な手つきに少女たちはあこがれて、やがては上手な漉き子になる自分を夢見たのだ。


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