高野六十那智八十
高野六十那智八十「高野六十那智八十」という諺がある。
高野山や那智山では男色が盛んで、老年になっても小姓を勤める者があるという意味。高野が六十で那智が八十なのは、高野紙が一帖六十枚、那智紙が一帖八十枚であることから来た。
続き▽
| よもやま話 | comments (x) | trackback (x) |
TOP < NEXT  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 BACK >>
高野六十那智八十「高野六十那智八十」という諺がある。
高野山や那智山では男色が盛んで、老年になっても小姓を勤める者があるという意味。高野が六十で那智が八十なのは、高野紙が一帖六十枚、那智紙が一帖八十枚であることから来た。
| よもやま話 | comments (x) | trackback (x) |
「親の仕事と子どもの遊び」 宇江敏勝
四月のことだが、紙漉(す)きを見せてもらう機会があった。
一つは高野紙である。高野紙は高野山の書籍紙として千年の歴史をもち、明治のころの最盛期には約六百戸が紙漉きをしていたという。現在では中坊君子さん(七十五歳)が、娘さんと二人で伝統の灯を辛うじて守っているのみである。
ところで紙漉きの里の子どもの遊びについて、おばあさんから聞いたはなしも印象に残った。
母親たちが紙を漉くいっぽう、台所の後始末などは女の子の仕事で、里を流れる古沢川(こさわがわ)で膳や茶椀を洗ったという。そのころはまだ食卓というものがなくて、めいめい蓋のついた小さな箱膳を使っていた。ところでその箱膳を洗うとき、少女たちは蓋に水をすくいあげ、たがいに紙を漉く真似をしあって遊んだそうだ。高野紙の簀(す)は萱の細い穂を編んだ独特なものである。その簀をあやつる微妙な手つきに少女たちはあこがれて、やがては上手な漉き子になる自分を夢見たのだ。
| よもやま話 | comments (x) | trackback (0) |