高 野 紙 見 聞 録

昭和62年・63年 名匠 中坊佳世子さんが抄造する高野紙の記録
 高野紙の製法を弘法大師から教えられた、と里の人々は信じています。
  かつて高野山のお寺の経本などに用いられ、繁栄を誇ったのは、もう語り草‥ 
 ここに、またひとつ、美しい伝統が消え去ろうとしています。
  ひょっとすると、これが滅亡寸前の高野紙の最終リポートになるかもしれません。
 

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高野版の刊行

建長五年(1251)十月に刊行された高野版 『三教指帰』 高野山では、山内における教学興隆の影響を受けて、鎌倉時代中期の建長五年(1251)十月に、快賢が『三教指帰』三巻を刊行して以来、高野版の出版事業が盛んになる。建長~正嘉年間の快賢のあと、建治~正安年間には安達泰盛や慶賀が中心となって、密教典籍の刊行が行われた。

 一般的に、高野版は粘葉装で両面刷冊子の体裁が多く、表紙には紅緋または黄丹の地に代赭色の点を散らしたものが使われ、ほかに縹色の表紙もみられる。

従五位上秋田城介藤原朝臣泰盛(覺智)像 鎌倉幕府の有力御家人であった安達泰盛(1231-85)は、高野山、とくに金剛三昧院と密接な関係を持ち、様々な支援を行ったが、蒙古襲来に対する異国調伏のため願経盛行という情勢の中、経典(高野版)刊行のために資金援助を行ったこともそのような支援事業の一つであった。

現在、建治三年(1277)刊行の『御請来等目録』『大日経疏』から、弘安三年(1280)刊行の『悉曇字記』まで、すべて眞言密教の典籍、六部二十九点を確認することができる。刊記に「従五位上秋田城介藤原朝臣泰盛」とあることから、高野版のうち、とくに「秋田城介泰盛版」と呼ばれることもある。主に信芸の版下書によるが、ほかに能海・鑁海の名もみられる。

(京都国立博物館ほか編『空海と高野山』展示図録 NHK大阪放送局ほか発行 2003年)
 

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