高野紙の製法を弘法大師から教えられた、と里の人々は信じています。
かつて高野山のお寺の経本などに用いられ、繁栄を誇ったのは、もう語り草‥
ここに、またひとつ、美しい伝統が消え去ろうとしています。
ひょっとすると、これが滅亡寸前の高野紙の最終リポートになるかもしれません。
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【第26部 第2話】(1998年2月16日放送)
黄門さま(佐野浅夫)一行は高野山に着いた。弘法大師が開いたこの山は黄門さまも参詣を楽しみにしていた。
一行は参道の近くにある茶店の女主人、おしげ(長山藍子)の家に宿泊することになった。
一方、お銀(由美かおる)と飛猿(野村将希)は高野紙問屋の若旦那、幸太郎(ひかる一平)とお夕(上野めぐみ)が土地のならず者に絡まれているところに出くわした。揉みあっているうちに幸太郎が突き飛ばした一人が死んでしまう。驚いた幸太郎たちはその場から逃げるが、お銀たちは、それがならず者たちの仕組んだ罠だということを見破っていた。 幸太郎が死んだと思った男は死んではいなかった。ならず者たちは、鬼引四郎兵衛(三角八朗)の子分たちだ。四郎兵衛は高野紙の横流しを企む代官の荒坂武太夫(内田勝正)の手先で、荒坂は、幸太郎を罪に陥れて、父親の徳右衛門(峰祐介)を脅し、私腹を肥やそうと企てているのだ。
さて、幸太郎が逃げた先はおしげの店だった。おしげは幸太郎が商売に身が入らないことをなげいていたが、人を殺したという話に驚いた。おしげは幸太郎の父、徳右衛門に事情を説明に行く。実はおしげこそ、幸太郎の母親だったのだが…。
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本尊 十一面観世音菩薩御影大画軸
長谷寺本堂に祀られる本尊十一面観世音菩薩立像をほぼ原寸大に描いていた大画軸である。右手に錫杖(しゃくじょう)、左手には水瓶(すいびょう)をもって方形の石(大磐石)の上に立つ姿は、「長谷型十一面観音像」といわれ、向かって右に難陀龍王(なんだりゅうおう)、左に雨宝童子(うほうどうじ) を配する。
大画軸の由来は、室町時代・明応4年(1495)に罹災した本尊復興にあり、観音指図(設計図)を興福寺の絵師清賢が高野紙430枚を継いで描いたとする。
これを江戸時代・寛文5年(1665)に本願院第65代秀海上人が、泉州堺の長谷寺秀政らと共に堺表で信施を受けて巨大な軸に仕立て、開山徳上人の命日3月2日から10日間「法華千部会」の本尊に用いた。現在までおよそ6回の修理が認められ、本軸裏の裏打紙に約16,000名もの結縁者の名前がびっしりと書かれている。長谷観音の大画軸に対する人々の信仰の篤さがわかる。
日本最大の掛け軸 (縦16.5メートル・横6.2メートル)
本尊十一面観世音菩薩御影大画軸出開帳
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