高 野 紙 見 聞 録

昭和62年・63年 名匠 中坊佳世子さんが抄造する高野紙の記録
 高野紙の製法を弘法大師から教えられた、と里の人々は信じています。
  かつて高野山のお寺の経本などに用いられ、繁栄を誇ったのは、もう語り草‥ 
 ここに、またひとつ、美しい伝統が消え去ろうとしています。
  ひょっとすると、これが滅亡寸前の高野紙の最終リポートになるかもしれません。
 

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高野紙十郷と紙すきえびす講

 高野紙十郷 高野紙の生産は、高野山のふもとの「高野紙十郷(笠木・上古佐布・中古佐布・下古佐布・椎出・河根・東郷・西郷・西細川・東細川)」でおこなわれました。これら高野十郷が「紙すきえびす講」を組織しました。それは高野紙の生産組合でもあり、「えべっさん」を祭り、または参詣する同行者で組織された団体でもありました。

 紙すきえびす講には、一郷から村役人が二人ずつが出て、毎年正月十日と十月十日の二回、各郷まわりもちで会合を開きました。古沢厳島神社で「えびす神」をおまつりし、紙すきの繁盛を祈ったようです。

 紙すきを守るため、すき始めは寒の入りの前後、すきどめは八十八夜前後の日を定め、製品の量を調節し、粗製や不正な荷造りをいましめ、紙や楮の売買についての申し合わせをしました。
 紙すきの技を他の村の者に伝えないという定めをかたく守り、結婚も十郷内で行われ、もし他の村の者と縁組をすれば、紙すきの技を教えないという起請文を書かせたということです。


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下古沢駅

下古沢駅 以前、付近が古佐布(こさふ)荘と呼ばれていたのが駅名の由来。2002年に交換設備が撤去され、高野線単線区間で唯一交換できない駅となりました。 

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